運送トラックの種類「生コン・コンテナ・冷蔵冷凍・平ボディ」の歴史

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現在ある日本の姿はこの『運送とトラックの歴史』に支えられて存在すると言っても過言ではありません。
永く鎖国政策を貫いてきた日本国が明治維新によって海外への門戸を広げ、海外の列強に負けることなく国を強くそして富ませるために行ってきたのが『殖産』です。
「殖産」は産業を盛んにし、国を富ませることです。

この『殖産興業』の重要な柱の一本であり、同時に日本の『殖産』を支えてきたのが『物流』なのです。
そして、言うまでもなくこの『物流』に『運送』は不可欠なものでした。

運送の歴史、物流の変遷

日本の陸上運送の歴史の基盤はすでに江戸時代には出来上がっていました。
人力と馬力による『伝馬と助郷の制度』という人間の力と馬の力による配送システムでした。
この出来上がった物流システムを利用することによって明治政府は資本主義国家の構築を考えました。

1872年(明治5年)、今から150年前に明治政府は現在の『日通』の前身である『陸運元会社』に働きかけ、国の行う配送システムと民間企業で行う配送システムの住み分けをしました。
『陸運元会社』は他の民間企業と『定飛脚陸送会社』を作りあげ、明治政府の郵便事業と競合していたのです。明治政府は無駄な競争をして無駄な時間を費やしている時期ではないと判断して、『定飛脚陸送会社』へ郵便事業から手を引かせたのです。
その代わり、『定飛脚陸送会社』は明治政府の郵便事業における運送業務を請け負うこととなりました。『運送』に特化した『日通』の前身である『陸運元会社』の誕生でした。

時代の流れとともに、人々の生活が豊かになるとともに運送しなければならないものは増え、運送物は多様化していきました。そして、その要求に合わせてさまざまな『トラック』が誕生してきました。

今回はそのさまざまな種類の『トラック』の誕生の時代背景や成り立ち、歴史を見てみたいと思います。

① 生コン車

生コン車

生コン車、コンクリートミキサー車とその呼び方は固定されていませんが、街中や郊外の建設工事で誰もが目にしたことがある『生コンクリート運搬特殊作業車』です。

まだ第二次世界大戦の傷の癒えぬ1949年(昭和24年)に、日本で最初の生コン工場が東京に設立されました。
道路建設や鉄道敷設はすでに始まっており、東京での地下鉄丸ノ内線の建設工事に合わせての生コン工場設立でした。

地下鉄建設には大量の生コンクリートを必要とします。
そしてコンクリートは時間が経つと固まる化学的特性を持っています。

ミキサー車の無い最初の生コン工場が設立された当時は中古トラックの荷台にレールを敷き、その上に鉄製の箱を置き、生コンを流し入れたのです。
現場まで運送した生コンをそのレールの上を滑らせてその勢いで生コンだけを押し出しました。
しかし、生コンクリートはその特性により水と分離してしまいます。
結局、水だけ流れ出してしまい、人力によってスコップでコンクリートはかき出さなければならなかったのです。

そして、攪拌機能付きダンプが登場します。
しかしまだ今私たちが目にする生コン車の形とは違います。ダンプトラックのあおりを内側に張り出させ、コンクリートのこぼれだしを防ぎ、荷台に縦方向に軸を通してその軸に羽根を付けてコンクリートを攪拌させたのです。
しかし、これではまだ完全ではなく、試行錯誤のなか現在私たちが目にするミキサー型の生コン車に変わっていきました。

生コンはJISの認証を受けた生コン工場から規格に適合した製品として運送されなければなりません。運送時間は工場で練り合わせて現場荷下ろしまで90分を限度とJIS規格の中で定められているのです。
このようなルールや生コンクリートの特性を生コン車は守り、現在の日本を作り上げてきたのです。

② コンテナ車

コンテナ車

物の運送はトラックによる陸上輸送ばかりではありません。航空輸送があり海上輸送があり、陸上輸送にしてもトラックばかりではなく鉄道もあります。

そして、これらの運送に共通するものがコンテナです。この『コンテナ』のことを「現代経営学」や「マネジメント」を発明した有名な経営学者のピーター・ドラッカーは『20世紀人類最大の発明』と称しました。

その発明、コンテナ第1号は1956年にさかのぼります。アメリカの陸上運送業者マルコム・マクリーンが考え出しました。
当時、自動車社会のアメリカにおいてハイウェイの渋滞は深刻な社会問題で、マルコムはこのままでは海運会社との運送競争に負けてしまうのではないかと危機感を持ったのです。
そこで出したアイデアが『トラックごと船に乗せてしまうでした。
しかし次の段階ではコンテナだけを運ぶほうが効率的に数多く運べることに気づき、着脱可能な現在あるコンテナ車になっていくのです。

規格化された『コンテナ』という鉄箱に荷を収めれば、荷揚地でそのまま船会社は二次運送となる運送会社に引き継ぐことが出来ます。それまでの海上輸送は個々の荷を人力によって積み込み、そして荷下ろしをしなければならず、輸送代のコストの大半は労務費だったのです。

その後、既得権益との戦いもありながらも世界中の物流にコンテナは受け入れられて規格化されます。
20フィートと40フィートの2種類です。
ISO(国際標準化機構)で定められている規格なのです。

そして今ではこの規格にあわせて海上、陸上、航空の運送のためのさまざまな運送機器、楊重機器、保管場所が作られているのです。
コンテナを載せて運送する自走機能を持たないトレーラーは、牽引するトラクターヘッドと連結して初めてその機能を果たします。
時代が変わり、世界のトラックすべてが脱ガソリン車となっても、このトラクターの規格、コンテナの規格が変わることはないでしょう。

③ 冷凍車・冷蔵車

冷蔵車

1958年、九州の女傑富永シズの苦心の末に国内第1号冷凍車は誕生し、歴史が始まります。
第二次世界大戦終戦の間もない頃、富永シズは九州で漁業を営んでいました。
しかしながら、その先の漁業の行く末を案じて一念発起し運送業を起業、福岡運輸株式会社としてスタートしました。

転機は誰にも平等にやって来ます。福岡運輸創設二年後の1958年に九州米軍基地が行った、基地に住む家族向けに牛乳、アイスクリーム、パンなどの食料品の運送事業者の募集に巡り会うのです。当時、まだ家庭用冷蔵庫も各家庭に普及していないような状態でした。そんな中での米軍の募集に大手運送会社も二の足を踏みました。

富永シズは冷蔵庫は各家庭に必ず普及し、『低温輸送』が将来必ず社会に必要になる、という女性の勘でこの仕事を引き受けたのです。
米軍から冷凍車両の払い下げを受けて研究したりしながら矢野特殊自動車とともに国産第一号機械式冷凍車を生みだしたのです。

現在当たり前となっている冷凍車・冷蔵車はこのようにして世に出てきたのです。

④ 平ボディ

平ボディ

トラックと言えば『平ボディ』、トラックと聞けば誰もがまずはこの平ボディを最初に想像することと思います。これまで見てきた生コン車、コンテナ車、冷凍冷蔵車をふくめてすべてのトラックの原型となるのがこの『平ボディ』です。

そしてトラックが世の中に登場する前の牛車や馬車が『平ボディ』の原型です。物を運ぶ、運送に特化した自動車がこの平ボディなのです。

2トン車(小型)、4トン車(中型)、10トン車(大型)の他にある軽トラック、これも平ボディの仲間です。
日本では農林漁業、商工業とあらゆる業界で活躍する軽トラックですが、実は北米を中心とする欧米で隠れた人気を持っているのです。
アメリカでは一部の州を除いて残念ながら公道を走ることは認められていないのですが、広大な農場や工場敷地内でその小回りの良さ、扱いやすさ、可愛らしさから人気があり、重宝されているのです。
トラックの代名詞のような平ボディは時代が変わろうともいつまでも愛されるトラックでしょう。

そしてトラックの未来

日本はこれから超高齢化社会を迎え、人口は減少し労働力の欠如という大きな問題に運送業界も立ち向かわなければなりません。地球温暖化という世界中で考えなければならない問題も待ち構えています。
トラックの歴史の中でも、大きな転換期に向かっている自動車業界のAI化や、脱炭素社会に向けた脱ガソリン車化が、今後これらの解決に寄与していくことでしょう。
SDGs(持続可能な開発目標)とともに自動車業界は変わっていくことでしょう。
かと言って、エンドユーザー様に品物をお届けするという物流の根本や運送の基本は、歴史が始まった頃から変わることはありません。
これまでさまざまなトラック輸送が世の中のニーズによって生まれてきたように、今後すべてのトラック輸送は基本的な機能を変えることなくバージョンアップしていくことでしょう。

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